丸山の講義補助

Contents for Higher Education for Sustainable Development

リテラシー、ノンフォーマル教育(国際教育開発論2)

リテラシー

  • literacy(識字)の一般的な定義は、「読み書き算ができること(日常生活における簡単な文章を読むことができ、理解でき、簡単な計算ができること)」を指す。これを「基礎的識字(basic literacy)」と呼ぶこともある。
  • 機能的識字(functional literacy)」は、UNESCOUNICEFなど国際機関の定義でも使われるもので、基礎的識字だけでは社会参加ができず、自己成長や社会発展のために読み書き算の技能をより機能的・継続的に使うことができるレベルを指す。小学4年生を終えたレベルといわれる。(UISによる"Functional literacy and numeracy: definitions and options for measurement for the SDG Target 4.6, Draft in Nov. 2017" や UNESCO GMR 2006 "Understandings of literacy"も参照)
  • リテラシーは、文字を読み書きするだけではなく、人々が持つ潜在能力の発展の基礎となり、個人および社会のエンパワメントへとつながるものとして意味が大きい。フレイレは、人々(人間性)の解放と記しており、被支配者だけでなく支配者の人間性も回復するものだと述べている。 
被抑圧者の教育学――50周年記念版

被抑圧者の教育学――50周年記念版

 
  • 教科書2(第11章) では、ペルセポリス宣言に触れた後、国連識字の10年(UNLD)も紹介し、識字率のことを説明しています。かつては、本人に「あなたは識字の能力がありますか?」といった質問をしたこともありましたが、今は判別方法として自分の名前を書いてもらうなど客観的になっている。
  • あと、「literacies」と複数形で考える場合もあります。母語公用語が異なる人が数多い中、公用語だと非識字状態であっても、母語ではちゃんと社会活動に関わることができる人もいます。途上国や移民の抱える教育課題として、教授言語が母語と異なると「成績が悪いために、その子どもは学力が低い」という話だけが先走ることがあります。しかし、既に識字技能は持っているのですが、特定の場面において「外国語」を使えないだけという捉え方もできるわけです。
  • そういえば、日本では「教科書が読めない子ども・大人がいる」って話題になっていました。ツイッター短文でさえ、読み取れない人がいる時代だけに、真実味は増すばかりでしょうか。

ノンフォーマル教育(Non-formal Education: NFE)

  • NFEとは、学校制度外で、ある集団に対して組織的に実施される目的や意図を持つ教育活動を指す。国際協力分野では、2つの使われ方が見られる。一つは「通学できない子どもに対する、二流の教育」で、これは近代学校に通うことが重要であるという背景を持つ。(実は、「不登校問題は、通学しない子どもに問題がある」など日本でも同様の捉え方がされている)
  • もう一つは、学校とはあまり関係なく、地域の開発・収入向上・保健衛生・ジェンダー・平和構築などの分野でも、NFEが重要だと認識されている。
  • 教材3では、研究トピックとして5つ(識字と高次の技能、ICT、緊急支援、NFE、学習成果測定)の一つにNFEも含まれており、NFEは次のように表現されています:「フォーマルな内容とノンフォーマルな内容、それらが構造化されているか・非構造化されているか」の4パターン。これは、教科書1の第2章で示された図にも当てはめることができます。

誰のための、何のための、教育なのか?

  • 教育は、世界中の人が大切なことと同意するのですが、教育を「与える」のは誰が何のためなのか?という点は、今も大きな研究課題です。
  • 私は研究ベースで「変容的学習」なんかを扱うので、ESD研究でも「表面的な学習」よりも「強い学習」を追いかけるのが好きです。さて、21世紀に生きる皆さんは、どういう学習を自分で選び取りますか?